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ぼくは何を解決したいのか。

現在、13万人の不登校児童生徒がいる。また、ひきこもり状態にある人は、70万人と推計されている。
ぼくは教員としての経験の中で、多くの不登校の子をカウンセリングし、再登校に導いてきた。だからこそ、不登校の子が再登校できるようになる機会を作り出すことが、特別なことだと知っている。

事例の中で、2年ほど前に再登校することができた子に施した支援プログラムは忘れられない。それは、辛く険しい道のりではなく、たまらなく楽しい時間だったからだ。

当時、ぼくは6年生の担任をしながら生活指導主任として不登校の子の再登校支援にも携わっていた。その女の子は6年生の他の学級の子で、小学校入学以来、不登校を繰り返していた。
彼女はブレイブボードが好きな子だった。そこで、ある時、放課後に他の子がみんな帰ってからブレイブボードを持ってきたらどうだと誘ってみた。すると、その何回か後の放課後登校の時、彼女は少し後ろめたそうにブレイブボードをカバンに入れて持ってきた。
ぼくはいつも車に数台のスケートボードを積んでいるので、彼女と一緒に学校の屋上でボードを楽しんだ。防水加工してある屋上面は、最高に乗りやすく、彼女もぼくも、ただただボードを楽しんだ。彼女の担任もやや強引に仲間に入れ、屋上ボード仲間ができあがった。
屋上ボードの会が何度目かになった時、担任が誘って、彼女の友達がブレイブボードを持って仲間入りした。教室で授業となるとその中に入れない彼女だが、屋上でボード遊びをするとなると、全く平気なのだ。彼女は、自分が不登校状態にあることを忘れたかのように楽しそうに屋上でのボード遊びを楽しんだ。
その後、偶然屋上でボード遊びをするのを他の子が目撃したりしたこともあり、屋上ボード仲間は一人二人と増えていき、多い時には彼女のクラスの子で10人近くにもなった。
すると彼女は、次第にボード遊びの後で教室に寄るようになり、さらには放課前にも教室に立ち寄るようになった。夏休みが終わり、9月になると、彼女は1日も休まずに学校に通うようになった。そのまま彼女は卒業まで欠席なしで学校に通い続けた。
この子が再登校に成功したのは、なぜだろう。達成要因としては、綿密な計画や友達の声掛け、担任とのラポールなどがもちろん働いているが、最大要因はボード遊びという非学校文化を持ち込んだことにあると考えている。
彼女は学校文化への不適応を起こしていたのだとぼくは考えている。もし彼女と学校との接触の機会を、学習や作品制作や学校行事で作り出そうとしていたら、彼女は再登校に成功することはなかったのかも知れない。彼女を再登校させたのは、ブレイブボードであるとも言えるのではないか。
これまでのぼくの教員としての喜びは、そんな瞬間の中にあったと言える。ぼくが社会に対して貢献できる機会は、いつもこの事象と同じ構図に当てはまっていた。このことから、次の問いについて考えてみたい。
ぼくは社会のいかなる問題を解決することで価値を生み出そうとしているのか。
不登校やひきこもりの状態にある方は、楽しいことを日常の中で体験するという当たり前の幸福感を感じてはいけない身上にあるんだというように考えがちになる。それは、常に他者からそのような言動が悪意なくあるからだ。
例えば、不登校状態にある中学生が、学校に行かずに母と子でおしゃれなブティックを回っていたり、ネイルサロンで爪のデコを楽しんでいたりしたら、学校はどのように考えるだろうか。そんな時、よく聞かれるのが「この母親だから」というような言葉だ。
不登校状態にある子は、その間、家でおとなしくして、学校に来られるように生活リズムの調整や遅れた学習の回復に努めて、不登校らしく振舞うべきとされ、親はそのように子が生活するよう努力するべきというのが、社会通念となっていることを強く感じる。
ぼくが解決したいのは、ここだ。どんな人も等しく人生を楽しむ権利を持っている。自分のメンテナンスのために立ち止まってゆっくりしたり、形にならない贅沢に時間を使ったり、おしゃれな環境に身を置いて日常を忘れたり、目的なしに遊びに興じたりすることについて、誰も妨げるべきではないのだ。それは最終的にはうつ病などの心の病になることを防止することにもつながる。
もちろん学校がそれを全て許容したら、現在の学校制度は立ち行かなくなるだろう。ぼくが教員をしながらも、これまでの教育学と心理学の学びを生かしてカウンセラーとして役に立とうと考えたのは、学校の中ではできない、そのような境遇の子どもたちや大人たちに、当たり前の幸せを感じてほしいと考えたからだ。
ぼくが役に立てるニッチはここだ。

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