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学校カリキュラムで教えられることに満足できずに知的な欲求を満たしたがっている子がいます。どちらかというと、できる子だけど、一筋縄ではいかない子というように認識されるタイプの子です。教師としての経験値としては、クラスに1人いるかどうかというところだと思います。

彼らは、学校で教えられる教科学習では欲求を満たすことができずに、フラストレーションを日々蓄積させています。

彼らが学校以外の学習機会を得て、知的欲求を満たすことができれば幸いですが、それができずに貴重な学生時代を終えてしまうこともあります。

そんな場合は、彼らは自分の欲求や情熱を学校文化に適合しないものであるとして押し潰し続けて大人になります。そのため、仕事をする立場になった時に、自分の半生を振り返り、これで良かったのかと問うことになりがちです。

他方、学校文化に適応できずに、不登校になる子がいます。

彼らはそれぞれに不登校になる理由をもっていますが、その理由は言語的な表現が必要なため作ったプレゼンテーションの1パーツでしかありません。

その理由は、いじめであったり、教師からの心ない言葉であったり、苦手な活動であったりするのですが、その根底にあるのは、学校文化への不適応あるいは不満足であると考えます。

すなわち、不登校の子どもたちは、学校という自分の価値観や情熱の方向と異なる世界で我慢してきた学習者なのです。




このように考えた時、1つの重要な命題にたどり着きます。

それは、前述の学校カリキュラムに満足できない子どもたちと、不登校の子どもたちは、どのような関係にあるかということです。

この命題について、ぼくは、この二者は、まったく同じモチベーションをもっているという仮説をもっています。仮説とは言うものの、それはぼくの信念でもあります。

そして、そのモチベーションとは、「イノベーションすること」であると考えています。彼らは、ともに自らの学びをイノベーションすることへのとても強いモチベーションをもっていると考えています。本来自らに備わっている価値観を実現するためのイノベーションの方策を立ち止まって思案しているのです。彼らは、未来のイノベーターとなりうる資質と信念を持ち合わせているのです。

時代のイノベーターたちが、ことごとく学校カリキュラムに不適応を起こしていることは、すでにハーバード大学のトニー・ワグナー氏の研究によって明らかになっています。

この事実から、ぼくが伝えたいのは、不登校の子どもたちを無理に学校文化に合わせさせることで再登校をはかるのはやめてくださいということです。

不登校の子どもたちは、学校カリキュラムとは別の場面で、自分の学びをイノベーションすることで、結果として再登校できるようになります。

つまり、もっとも大切なことは、「勉強」とは異なる学習機会をもつことなのです。

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