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「不登校」から「オープンスクーリング」へ

昭和の時代、「学校恐怖症」という言葉に続いて使われるようになった「登校拒否」という概念は、その拒否する主体は児童生徒なので、学校に行かないという行為が主体的な行為として認識されていました。

平成になり不登校という言葉が用いられるようになったのですが、この言葉は登校がない状態を意味する概念として用いられたために、かえって様々な意味を含みやすい概念であったと言えます。

この「不登校」という概念の最大の問題点は、主体が学校側にあることであると言えます。そのため、「登校がない状態」が学校に来られない状態という「不可能性」を含意してしまったのです。この含意により、不登校児童生徒は、不可能性を持った児童生徒として認知されるという事態を招いてしまいました。

そのことによって、不登校の状態にある児童生徒は、「学校に行けない児童生徒」という不可能性を自動思考によってインプリントし、セルフエスティーム(自尊感情)を低下させるメカニズムを働かせてしまわざるを得なくなったと言えます。

そこで、不登校に代わる時代にふさわしいネーミングが必要だと考えます。ここで提案したいのが次のネーミングです。

「オープンスクーリング」

スクーリングという概念は、通信制高校や放送大学などの発展によって一般的に認知されるようになってきました。これらの学校の生徒が、定期的にオフラインで登校する機会のことをスクーリングと言うわけですが、不登校状態にある児童生徒は、スクーリング先が学校に「収まらない」という状態と考えるべきです。

「オープン」というのは、学校に収まらない学びの開放性をイメージさせますし、不登校は家に閉じこもっているのが普通という閉鎖的イメージを払拭するよう働きます。

不登校というライフスタイルを選択した児童生徒が、家に閉じこもることを選択したのではなく、学校を飛び出してより広い学びの機会を得ることを選択したというように自認できる概念として、この「オープンスクーリング」を提唱したいと思います。

不登校に対する国の認識を大きく転換させた「教育機会確保法」や文部科学省の諸通知では、不登校の児童生徒に学校以外の教育機会を提供していくことによって教育の機会を確保することを推進しています。あとは、学校と当事者と世間の意識転換を待つだけとなっています。

これらの転換を推し進めるためにも「オープンスクーリング」のネーミングを提唱し、一般化するために努力していきたいと考えます。

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