子どもが描く絵は、さまざまなメッセージを含んでいます。それは誰もが実感できますよね。
でも、子どもの絵を見たところで直接的にメッセージを読み取ることはできません。もともと論理性をもつ表現である言語とは違って、絵は無意識による支配をより多く受けているからです。
例えば、暴力的なシーンを描いたからといって、その子が暴力的なわけではないし、幸せそうな家庭を描いたからといって、その子が家庭的に恵まれているとは限らないわけです。
さらに、絵というのは時間を伴って行われる表現行為であるので、完成した状態の時間を持たない作品だけを見て何かをはかろうとしても、多くの情報を見過ごすことになります。
では、子どもの「お絵かき」から何を知ることができるのでしょうか。
このことについて、示唆を与えてくれる考え方があります。それは、子どもの「お絵かき」を「防衛機制の表現」と解釈する考え方です。
防衛機制とは、最大限に単純化すると、自分の心がダメージを受けそうな場面で無意識的に自分の心を防衛するはたらきです。つきつめると、「ま、いいか」と思うための無意識的な戦略と言えます。人は誰でも心が傷ついてしまいそうな場面では、自分の心を防衛するために「ま、いいか」と思うための心の仕組みをはたらかせます。
例えば、すごーくほしいものがあっても、それが手に入らないと分かると、「よく見てみると何となくいまいちだな」と思うことによって「ま、いいか」としてみたり、「買っても置き場所に困りそうだな」と思うことで「ま、いいか」としてみたりします。
このように人間が自分の心を守るために、ほぼ無意識的に「ま、いいか」と思えるように事態をとらえる仕組みを防衛機制と言います。「防衛機制」は、有名な精神分析家であるジグムント・フロイトと娘のアンナ・フロイトが整理した概念ですが、具体的には次のような型があります。
repression
いやなことを意識からしめ出すことで、心を守ろうとするはたらき。「なかったことにする」など。
reaction formation
にくい相手に対して、真反対に親切に対応するなど、衝動が意識にのぼることを正反対の行動でおさえること。
regression
一般的に発達の観点からみた「子ども返り」と呼ばれる現象。幼い時の行動に戻ることで、衝動や葛藤を感じないようにする。
isolation
例えば強迫的に清潔を求めてしまう強迫症の人が、繰り返し手洗い行動によって、受け入れがたい感情を切り離すことなど。
undoing
何かをしでかしてしまった後の罪悪感や恥の気持ちを、それとは反対の意味をもつ思考や行動によって打ち消そうとすること。たとえば、友達を攻めてしまった後に、罪の意識を感じて、相手を喜ばせようとしたりすることなど。
projection
自分の中の嫌な感情や性格を他者に鏡写しにすること。たとえば、子どもに怒りっぽい親が、自らの怒りの感情を受け入れず、子どもの方が怒っているのだと決めつけるような場合など。
introjection
他者をまねして、その人と同じように考え、感じ、ふるまうことによって、その人を内に取り込むこと。子どもの〇〇ごっこは典型的な例。
turning the impulse against the self
ある対象への怒りなどを自分自身に対して向き換えること。怒りなどが意識に上ることを恐れて自分自身に向け、抑うつ的・自虐的になったりする。
reversal into opposite
特定の対象に対する感情が正反対の感情に置き換わること。恋愛の感情が真逆の恨みの気持ちに変化したりすることなど。
sublimation
受け入れがたい衝動を社会的に価値のある行動、特に創造的な活動に変化させること。くやしかった思いを立身出世することによってなくすことなど。
アートセラピーの1つの考え方として、これらの防衛機制が子どもが絵を描いていく時間の中に表現されるというものがあります。
想像しながら絵を描いている時、子どもは、緊張状態とその状態からの回復を繰り返しています。
例えば、絵の中で、悪の帝王が地上に降り立ち、地上に恐怖を広げているとします。悪の帝王を描くこと自体が目的になっていなければ、子どもはそこで絵を終えることはありません。この緊張状態を何らかの方法で回復させようとします。
さらに、巨大な悪の存在を作り出すかもしれませんし、正義の味方を登場させやっつけるかもしれません。あるいは、悪の帝王にも善の時代があり、悪に染まっていったことには回避できない理由があったことにするかもしれません。
このように緊張状態をどのような方法で回避したのかをセラピストが観察することで、おえかきをする子どもが用いる防衛機制を垣間見ることができます。その時には、何を描いたかではなく、どう絵の世界の危機を収めたかが重視されます。
例えば、この絵からはどんなことが読み取れるでしょうか。この絵を見て、たいていの人は、暴力性や残忍性を感じ取るかと思います。ですが、それはできあがった絵からは、この絵が描かれている過程を知ることができないからです。

この絵が描かれる過程で、制作者の少年が何を想像し、解決していったかを知ることで、この少年の無意識に少しだけアクセスすることができます。
この少年の描く悪魔たちには、すべて共通点があります。それは、「二面性をもつ」ということです。最初に描いた人物像である半面悪魔半面天使を描いた時には、少年は、悪魔の半面から描き始めました。しかし、突然、顔を半分に分ける線を引き、もう半分を天使だとしました。ぼくは、この半面像には何か意味があるのだろうと思いましたが、その時は、まだその意味は読み取れませんでした。
次に、少年は完全体の悪魔を描きました。ぼくは、少年がこの悪魔をどう意味づけるのか興味を持ちました。悪魔には、アンテナが取り付けられました。このアンテナは、外からのコントロールを受信する機能をもっていました。描かれた完全体の悪魔は、自分の意志で殺戮を行っているのではなかったのです。このとき、ぼくは、このアンテナが防衛機制として取り付けられたことに気付きました。少年は、このとき、悪魔として振る舞う姿に、外部からコントロールする力を加えて、「内と外」という二面性を表現しました。
さらに、少年は、この完全体の悪魔が悪魔になる前の姿を描きました。この悪魔は初めから悪魔であるわけではなかったのです。悪魔になる前の姿には、アンテナはありません。ですから、自分の意志で行動します。ですが、それを描いていくうちに、結局また血を流し、火を吹き、悪魔へと再び塗り替えられてしまいました。少年はさらに悪魔になる前の姿を描きます。ですが、また、血を流し火を吹き、結局は悪魔化してしまいます。ここでは、少年は、悪魔化した現在と健全な過去という時間軸での二面性を表現しました。
そんなことを繰り返しながら、少年は、かなり詳細に想像の悪魔物語を語っていきました。
そして、画面の一番左にこれまでよりもさらに不穏な雰囲気を漂わせる動物のような悪魔ロボットを描きました。目からは血の涙を流しています。顔のあちこちに朽ちた穴が開いています。悲しみと恐怖を併せ持つような印象です。

少年は、「悲しい悪魔ロボットだ」とつぶやきました。そして、こう続けました。「この悪魔ロボットは、もともとはこうだったんだ」(そう言いながら小さく黄色いロボットを描く。)「それが長い時間をかけて古くなってしまった。あちこちが古くなって穴が開いてしまった。そして、だんだんと悲しみがたまっていった。最後に悪魔になってしまったのは、人間の子どもの肉を食べさせられてせいなんだ。」
この少年のアートセラピーにおける悪魔の描写の過程は、まさに防衛機制の連続だったわけです。50分間、少年は緊張と回復を繰り返していました。描かれた悪魔は脅威であって、それに続く描写は自分の罪悪感や恐怖感から心を回復させる無意識的な戦略を表現していました。この過程から、この少年がもつ自分の心を守り抜くための懸命な戦略を読み取ることができました。
これを読み取ることができたとき、アートセラピストは初めて心理的支援の道筋を考え始めることができるようになります。つまり、彼のもつ防衛機制にはたらきかけることができるようになるわけです。
うつ病や強迫症などの精神疾患が、不適切・不合理な防衛機制を働かせることによって生じることが知られています。子どもも同じように、不適切・不合理な防衛機制によって心理的な危機を回避することを繰り返すと心の健康を失ってしまいます。その時に、より適切な防衛機制をはたらかせることができるように子どもにはたらきかけることができる場が絵の中です。絵を描く過程を共有しながら、課題となる防衛機制について想像の中でともに経験していくという作業が可能になるわけです。
それは子どもの無意識と意識との間を行き来する作業であり、子どもの善と悪、安心と不安、安堵と恐怖の間を行き来する作業です。おえかきをする子どもへの尊敬と信頼に基づく作業とも言えます。
アートセラピーによって子どもの無意識な防衛機制にアクセスするための事始めは、お絵かきをする子どもを心から尊敬し、信頼し、その子の言葉に積極的な関心を示すことだと思います。そして、実は、この事始めが、始めであって、ゴールであると思うのです。