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プレイセラピーと心理的課題

遊びは子どもの仕事?

昔から、「遊びは子どもの仕事」と言われていましたが、今日、この言葉は子どもの生活実態からは遠いものになりつつあるようです。昔の人は、遊びから得られる様々な社会的・心理的な学びを尊重していたのでしょう。現代では、子どもの「強み」をどうやった引き出せるかという教育観が共有されるようになり、子どもは自分の持っているであろう潜在的な資質を最大限発揮することを求められています。それによって、「遊び」はどうやらかつてのような信用を失いつつあるようです。

よく聞く「強みを生かす」という言葉は聞こえの良い言葉ではありますが、実際には、子どもに最大限の知的生産をすることを求めていることになります。本来、「強み」は潜在的に持っていて良いもので、その人の人格や性格の枠組の一つの要素としてはたらくものであり、それをすべて発現させる必要のないものでした。

ところが、社会全体の生産性が低下してくると、否が応でも一人一人の人間の生産性を上げることが求められるようになり、一人一人が日常的には秘めていても良いはずの「強み」をどうにかして引っ張り出さなければいけないという価値観が支配的になってしまいます。つまり、「強み」を最大限に引き出すことは、生産力を失った社会からの要請だとも考えられます。

このような要請が高まると同時に、本来、子ども時代の学びの場であった「遊び」の価値は、相対的に低くなってしまい、遊ぶ暇があったら最新の学習プログラムを通じて強みを伸ばすことに専念することを求める社会になったと言えます。

「強み」は、何で生まれるか

そもそも一人一人の子どもが持つ強みは、何によって生まれるのでしょうか。様々な大人が身に付けさせたいスキルが現代社会にはたくさんあり、それを子どもに身に付けさせるための教育活動が官民ともにたくさん行われています。しかし、いくら大人が身に付けさせたいスキルをプログラムとして子どもに与えたところで、子どもの強みをそのスキルと結び付けることは成功しないでしょう。

子ども自身による能力の発動と活用があってこそ、子どもは自らの「強み」を発見し、それを認識していくことが可能となります。そして、その「強み」の大もとには、その能力の活用を「楽しい」と感じる経験が不可欠です。「楽しい」が「好き」となった時に、その「好き」が探究の動機付けとなり、そこで「強み」を形成していくことになります。

例えば、クリエイティビティ(創造性)を子どもの強みにさせたいと考えて、絵をたくさん描かせたとしても、クリエイティビティがその子の「強み」になることはないでしょう。ですが、絵を描くことを「楽しい」と感じている子に、絵を描く機会を与えて、その子の絵の世界の中に他者が参加し、世界を共有し、その世界の住民になったとしたら、その子は描画を「楽しい」から「好き」へと昇華させていくでしょう。そこに「強み」形成の機会が生まれます。

同様に、思考力を子どもの強みにさせたいと考えて、課題について考えたり、対話させたりする活動をたくさん行ったとしても、思考力がその子の「強み」になることはないでしょう。ですが、問題解決場面で思考することを「楽しい」と感じている子に、問題解決の場面を与えて、その子の問題解決に他者が参加し、共有し、その問題をともに解決したとしたら、その子は問題解決思考することを「楽しい」から「好き」へと昇華させていき、そこに「強み」形成の機会が生まれます。

つまり、「強み」形成のための資源は、子どもの「楽しい」の中にあり、それを「好き」へと昇華させていくことで生み出されるものであると言えます。そして、それを具体化することのできる方法が、「遊び」という場です。

「強み」そして「治癒」

前述のように、遊びは子どもに「強み」を形成する機会を与えます。ですが、遊びが与えてくれるものは「強み」だけではありません。

心労が重なった時などに、「気晴らしに遊びにでも出かけるか」と思うことは誰でもあるかと思います。この「気晴らし」とは、どのような心理的な効果を意味するのでしょうか。心理臨床的には、この「気晴らし」はカタルシス効果として捉えられます。

ストレス負荷があった時に遊びによって浄化作用を得ようとするのは、人によって程度の違いはありますが、一般に行われていることだと思います。ですが、心的エネルギーが弱まっている時には、遊びという活動にうまくエネルギーを当てることができず、さらにストレス負荷を増長させてしまうことがあります。そのような時に、遊びを支援しつつ、意図的・計画的に遊びを企図し、クライアントの心的課題の治癒・改善に向けて遊びを構成するのが遊戯療法を行う心理師の役割です。また、主治医のある方については、主治医の指導のもとで医療的支援をサポートするように遊戯療法を実施します。

「遊び」による心理支援とは、この「遊び」そのものの持つカタルシス効果をクライアントの受け入れやすい形に整え、計画的に配列し、言葉によるフィードバックを繰り返しながら行うものなのです。

「遊び」の本質

「遊び」は、本質的に楽しいものです。この楽しさがなければ、遊びは遊びとして成立しません。この楽しさは、空気における窒素、水溶液における水のようなものであり、この楽しさという媒体の中で様々な問題解決が行われるのが遊びです。

遊びには、本質的に①安全性②開発性③協働性という性格があります。

①安全性は、遊びという特殊な場においては、どんな大きな失敗や困難があっても安全性が確保されます。例えば、鬼ごっこで鬼に捕まったとしても、鬼に食べられてしまうことはありません。また、人生ゲームで破産してしまったとしても、実社会においては一切の負債を抱えません。この安全性が担保されているからこそ、人は、遊びの中でだけできる様々な問題解決活動を行うことができます。普段は人に迷惑をかけないことを大切にしている人でもババ抜きで意地悪をすることもできますし、普段は極めて慎重な人であってもインカ帝国への大冒険に出ることができるのです。

②開発性は、遊び毎に定められている基本ルールには表されていないような小さなルールや配慮の開発が大部分となります。例えば、鬼ごっこをする時に、逃げる範囲はあのイチョウの木までにするとか、ババ抜きをする時に、相手のカードが見えないような配置に座るようにするとか、そういった部分で発揮されます。その他にも、戦略的な思考を行う場面でも開発性が活かされます。カードゲームをする際に出すカードの順番を変えてみるとか、わざと弱いカードしかない振りをしてみるなど様々です。

③協働性もまた遊びの本質的な性格となります。一人遊びには協働性がないと考える方もいると思いますが、協働性は一人遊びでも発揮されています。例えば、絵を描いている時にも、人は線を描画する自分、全体を構成する自分、色彩を検討する自分などと、様々な役割を自己内分担して一枚の絵を仕上げていきます。その分担が他者となされるか自己内で完結するかの違いでしかありません。遊びの内容によっては、自己内で協働する方が効率が良く、遊びの価値をより高めることができることもあります。集団遊びをする際に協働性が発揮されることは言うまでもありません。それがボードゲームであって、敵対する関係であったとしても、そのゲームをプレイするには協働性が必須であり、それがなければ一つのゲームプレイを共有することさえ不可能ということになります。

この3つのゲームの本質的な性格は、子どもの発達課題の克服や新たな成長への足がかりとなるものであると言えます。

プレイセラピーと心理的課題

以上のようにプレイセラピーは、「遊び」が本質的に持っている①安全性、②開発性、③協働性という性質を生かしながら、カタルシス効果を系統的に構成していくことで心理的課題に向かい合う心理療法です。

社会的な場面においては表現されにくい人格・性格・認知傾向などが、「遊び」の世界においては、生き生きとそしてありありと表されます。そのような本来持ち合わせているけど社会的な場面においては表現されにくい部分、つまり無意識とされる部分に遊びを通じてアプローチすることができるのが、プレイセラピー(遊戯療法)です。

みらいびらきLabo.は、プレイセラピー(遊戯療法)によって心理師が子どもや若者を心理支援する数少ない場として、新潟市を拠点に今後とも役割を果たしていきたいと考えています。

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