Menu
4 Comments

ADHDの子どものやりたいことをとことんさせて分かったこと


ADHDの子どものもつ理想

ADHDなどの発達特性をもつお子さんをもつ親御さんは、いつもお子さんをどのように育てていくのが良いのか考え、実践されていることと思います。それでも、ADHDのお子さんが何を望み、何を苦手としているのかということについては、様々な経験則や医学的な見地がありますが、それらを参考にしてみたところでうまくいかないことが多いことと思います。

となると、彼らにとって望ましい生活とはどのような生活なのか、それは、彼ら自身に聞いてみることが一番確かだと言えます。

そこで、ADHDであるぼくの11歳の息子の主張に徹底的に耳を傾け、彼のしたいことを徹底的にサポートするということを実践してみました。その結果、これまでの自分自身のADHDの理解を根本から覆すような特性理解をすることができました。ADHD、それは、誰もが羨ましがるような思考様式・価値体系をもつ特性だったのです。


釣りに行きたい。

多くの子どもたちと同様に、息子はYouTube視聴家です。これまでは、ゲーム実況やオンライン575などの人気動画を見ていたのですが、急に「釣りよかでしょう。」などの釣り動画や海へのダイビング動画などを見るようになり、海や魚への関心を高め始めました。

「お父さん、釣りに行きたい。」

この言葉から息子と海との深い関係が始まりました。

ぼくも若いときに釣りをしていましたが、20年ほどご無沙汰だったので、少しわくわくしながら釣り道具を引っ張り出しました。6月初旬、アクセスしやすい防波堤に息子を連れて行きました。サビキ釣りの仕掛けでアジをねらいましたが、時期が少し早いようで、魚影さえ感じられない釣りとなり、ボウズ(釣れずに終わること)で終わりました。回遊がなかったのかも知れないということで、数日後、改めて釣りに行きましたが、やはりボウズでした。

息子は、この防波堤は、釣れない防波堤だと考え、違う防波堤で違う釣り方をしようと考えました。もちろん後にどの防波堤でも魚は釣れるということを知るのですが。そのことを知らないまま親子は、釣具屋に行き、ルアーフィッシングのためのロッド(竿)とメタルジグを買いそろえました。

翌日は平日でしたが、学校が終わった夕方、ぼくら親子は、意気揚々と別の防波堤に行き、ルアーを必死に投げましたが、要領が悪いので釣れようもありません。

そんな時、となりのおじさんを見ると、前回までぼくらがやっていたサビキ釣りをして、30cmほどの型の良いアジをバンバン上げていました。ルアーしか持ってきていないためもどかしく思っていたぼくら親子は、もうすべきことが見えていました。「明日の夕方は絶対サビキ釣り!」

翌日の夕方、急いで仕事を切り上げ、息子を迎えに行き、防波堤に向かいました。昨日のおじさんが釣っていた場所に立ち、サビキ釣りを始めました。この時の体験が、息子のその後を大きく変えました。

昨日のおじさんに起こっていたことが、息子にも起こりました。サビキ仕掛けを海に投げ入れる度に、大きなアジがどんどん釣れました。ウキが細かく上下する感覚、竿先がブルブルと震え、手に伝わる感覚。釣れた魚に触れたときの生命の感触、海の生き物からする潮のにおい。それらすべてが息子を虜にしました。

この時から週に3日、4日と釣りに行く生活が始まりました。ぼくは、それをサポートすることを子育ての中心に据えました。平日は夕方から日が沈むまで、休日は日の出前から朝まで釣行し、できる限り仕事と家庭生活とNPOの事業に影響がないようにしました。

息子は、あっという間に釣り方も様々と覚え、釣りたい魚やポイントの条件によって変えられるようになっていきました。中でも息子が好きなのが穴釣りという釣り方です。テトラポットとテトラポットの間にある小さなすき間にブラクリというオモリ付きの針にエサをつけた仕掛けを入れ込み、アタリを探る釣りです。

穴には、カサゴやアナゴ、キジハタなどが潜んでおり、穴に居さえすれば、仕掛けを入れた瞬間に強いアタリで食いつきます。宝探しのようなこの釣りに息子は、(そして父親は)夢中になりました。キジハタは穴釣りのお宝級なので、キジハタが釣れると大喜びすることになります。

ルアーフィッシングは、他の釣り方に比べると、なかなか釣果がでませんが、それがむしろ探究心をかき立てます。たまに、サゴシやイナダが釣れるとその引きのよさに興奮します。研究のしがいのある釣り方なので、親子で多くの動画や書籍で調べ、スキルを少しずつ上げていきました。

ある日、ルアー釣りをしていると息子が、ロッドをしならせて慌てていました。「おい、また根掛かり(仕掛けを障害物に引っ掛けること)させたんか?」と聞くと、息子は、「違う!釣れてるの!」と答えました。「いや根掛かりだな。」と言って放っておくと、ルアーとともに立派なヒラメが暴れているのが見えました。「お!ホントだ!」と慌てて、タモを用意し、すくい上げようとした瞬間、針が外れ、ヒラメは海の中に戻っていきました。こんな経験の一つ一つが息子を海にさらに惹きつけていくのでした。

このようにして、2・3日に1回のペースで海に行く生活が常態化していきました。


子どもが育つとは。

海に行くと、息子といろいろなことを話します。釣りの話はもちろん、生き物の話、海の環境の話など、尽きることがありません。息子は、釣りを通して、生命や環境など、さまざまなことを体験的に学んでいるようでした。

珊瑚礁の保全のためには、ガンガゼというウニの駆除が必要だということ。たまに針に引っかかっている麺のようなものはウミソウメンというもので、アメフラシの卵であること。もともと博士タイプの特性をもっている息子の海についての知識は、ぼくのそれを凌駕するものになっていました。また、息子の知識は、海の知識から生態系の知識へと次第に広がっていきました。すると、海に行く目的もいつも釣りをするだけではなくなり、シュノーケリングで磯の生態観察をしたり、モリで魚を突いたりすることも楽しみ始めました。

同時に、息子は生きるということについて、新たな視座を持ったようでした。通常、子どもが「育つ」というのは、「社会化する」と同義に捉えられがちです。ところが、息子の考える「育つ」とか「生きる」というのは、「社会化する」とは少し違う意味をもつようでした。息子の捉えは、どちらかというと「地球化する」という感じのもので、いかに地球のリズムと同調するかに価値を置くものでした。

実際、ぼくたち親子は、潮の満ち引きや月の動きに常に意識を払う生活を実践していました。潮の動きの大きな時間帯を探し、新月や満月の生み出す大潮の日を楽しみに暮らすようになっていました。タイドグラフを見ながら、平日は夕釣りや夜釣り、休日は朝釣りという形で、ぼくたち親子は海と共に暮らす生活(以下、海ライフ)を続けました。

気合いの入った釣りをしたいときは、多少の危険を冒してもそれができる釣り場へ行き、のんびりとロハスなスローフィッシングをしたいときは、テトラポットの上でゴロリと寝ながら釣りのできるポイントへ行きました。海に行くと、波の音と潮のにおいに癒やされました。

そんな日々を過ごしながら、息子は潮のリズムに自分の心の動きや生活のリズムを一致させていくことを試みているようでした。

3ヶ月間、海ライフを続けた頃には海に行った数は60回を超え、その間で、息子の釣果がぼくの釣果を毎回超えるようになっていました。彼は、様々な釣法を身に付け、ポイントやねらいに併せて選択的にそれらを用いることができる釣り師になっていました。

釣行の時には毎回大荷物になりますが、息子はそれを文句一つ言わず持ちました。魚が釣れない時にも、ネガティブな言葉は何も言いません。次の釣行のために、必要な事柄を調べたり、タイドグラフを分析したりしました。

かつて、剣道を習っていたときに、練習日の度に言っていたしぶる言葉や後ろ向きな言葉はどこかへ消えてしまったようでした。初めは怖がっていたテトラポットや岩礁も安全装備をしっかりし,果敢に挑む強い人間になっていきました。

変化は、息子だけでなく、ぼくにもありました。

海ライフをするようになってから、体はガッツリ疲れるものの、心が疲れないのです。仕事が楽しく、あらゆる営みが豊かに感じられるのです。この変化は、間違いなく息子がぼくに教えてくれた価値感によるものでした。

人は、常にうまく「社会化する」ことへの要請を感じ続けています。学校でも職場でもその要請を感じ続けています。では、その要請を発しているのは誰か。実は、それは、社会でも上司でも同僚でも制度でもありません。自分が自分に要請しているのだということに息子の言葉や考え方から気づかされました。


息子が教えていること

ADHDである息子の価値感は、「社会化する」ことがすべてではないというものでした。

ADHDについてのテキストを見ると、どうやってADHDの子を上手に社会化していけるかが書かれています。でも、その社会化の概念は、とても狭いものなのかも知れません。さらに、近年、ますます社会化が狭義なものになっていきているように感じます。

教育は、ますます社会的要請に応えるようになり、子どもに大人の社会活動をシミュレーション体験させたり、子どものうちから発達段階を超えたキャリア意識をもたせたり、子どもに大人と同じ思考活動をさせたりするようになりました。

そんな狭義な社会化にみんなが息苦しさを感じながら、それが正しいと信じて、我慢しているのが現代社会であるように思います。

ぼくが、ADHDの息子の考えを実現することをとことんサポートすることで感じたことは、彼の生き方は、実は、すべての人たちが「本当ならこう生きたい。」と考える生き方なのではないかということです。

現代社会では、ぼくたちは、太陽の動き、月の動き、潮の満ち引き、季節の流れなどの様々な自然のリズムをできる限り制御することで、社会システムを機能させています。

そのような自然のリズムに沿わない生き方に強い抵抗感をもつのがADHDなどの自閉症スペクトラム症の人々なのではないかと思うのです。彼らは、より自然のリズムに従うことを重視し、社会化するより地球化することを大切にする人々であると感じています。

つまり、ADHDの特性は、皆が本当であればそんな生き方がしてみたいと生得的に思っているような理想の生き方を強く求めるものであって、それに沿わないような制御的な価値観への不適応性なのではないか。彼らの言葉にじっくり耳を傾け、彼らの言葉から学ぶことによって、自らの生き方が理に適っているかを振り返ることのできる機会を与えてくれるものなのではないかと思うのです。

これからもぼくは息子と海との関係から、現代社会で生きることについて大事だけど忘れてしまっているだろうことを教えてもらうために、海ライフを続けていきたいと思っています。

タグ: , , , , ,

4 thought on “ADHDの子どものやりたいことをとことんさせて分かったこと”

  1. 川村孝樹 より:

     めいっぱい自分の手足を伸ばし,未知なる外側の世界を触りながら自分の居場所を広げていく11歳の少年の姿から,生きることについて少し立ち止まって考える時間をもらいました。今回のコラムを読んで,一昨日たまたま聴いたラジオで,米津玄師さんが「逃げることは未来的な行動」「生き方の選択肢(自分の居場所)は複数あった方がいい」と言っていたのをなぜか思い出しました。誰かのつくった価値観の上に乗っかりながら自分の生きる社会をどんどん狭くしてきた僕たち大人。盲目的なまま,自分の子どもにも「今の我慢は将来のため」と言い続けている。学校では「変化の激しい社会を生きるための力を」と言いながら,それが育つ場や選択肢は未だ保障できていない。そういえば,米津さんがまた別のインタビューで,「ニッチでバラバラな個がカラフルで豊かな社会をつくる」的なことも言ってたなー。(徒然なるままにコメントしてみました)

    1. m-lab より:

      個性を磨く前に「当たり前を当たり前に」が大事だとする方も結構いますが、当たり前の先にあるのは、単なる「超当たり前」なのではないか。米津氏の言う様々な生き方の選択肢を大人が許容できれば、多くの子どもたちが輝き出すのかな。

  2. 真田 池乗節子 より:

    わたしの甥っ子はADD?Hがないケース。未熟児障害もありました。小さいころから、こだわりが強く好き嫌いははっきり。そんな彼は、働くことが好きでした。うるさい場所は苦手。
    妹夫婦は、働く場面が多いキャンプに毎週連れて行っていました。キャンピングカーもかいました。いろんなことがありましたが、用務員さんになりたい夢があり、かなわなかったけれど、ボランティアや障がい者雇用で様々な雑務をこなす職場につとめ2年。いろいろあって一言でいえませんが、キャンプのたきびをみながら語ったり自然とふれあったり父親はゆったり彼と接していました。そんな父親は、職場の中学で倒れ下半身不随となりましたが、今も三人はキャンピングカーと車椅子で家族の時間を過ごしています。甥っ子の心は真っ直ぐです

    1. 佐藤裕基@m-lab より:

      ステキなエピソードをご紹介いただき、ありがとうございます。甥っ子さんは、果敢であり豊かな育ち方をされたんですね。
      同じように仕事で関わる子どもたちに豊かな経験をさせられたら良いなぁと思いました。大人が足りていないと思う物を与えるのでなく、子どもが豊かだと感じる物を与えられるようになれたらと願っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。