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アートセラピー:スクィグルの不思議

アートセラピーにはいろいろありますが、描画療法はもっとも広く行われているアートセラピーだと思います。

ぼく(みらいびらきLabo.公認心理師の佐藤)も描画療法は、様々な場面で使います。様々な場面というのは、本当に様々な場面で、クライアントの心理アセスメントで使うこともあれば、改善プロセスで使うこともあるし、セラピーの効果測定で使うこともあります。それくらい描画されたものは、クライアントの「今」を表すものとしての価値があります。

描画療法のうち、バウムテストというものがあります。木の絵を描いてもらうものです。セラピストにとってもクライアントにとってもハードルの低いこのテストは広く用いられています。ですが、このバウムテストでさえ、実施することに困難があることがあります。そんなときは、描く対象をクライアントにとって身近なものに切り替えます。

バウムテスト→家の描画テスト

ある小学校低学年のクライアントは、「ぼくは木を見たことがないからわからない。」と言って、木を描くことができませんでした。「じゃあ、家を描いてごらん」と家の描画テストに誘うと、この子はすらすらと家を描きました。描くスムーズさや描かれた作品からは、描画能力の高さが窺われます。この子は他ならぬ「木」を描くことに対して困難さを感じたようです。

この子は学校に行くときになると不安が高まり、お母さんと離れることができず、泣き叫んで家にいたいと訴えるお子さんでした。描かれた家は紙面の下の辺を地面として描かれており、家の周りにある大きな空間は、そのまま家の外にある世界の大きさを感じさせるようでした。小さな玄関ドアは、家という空間の遮蔽性を表していました。左端に一つだけ控えめに設けられた窓が外界との接点です。しかしながら、しばらくしてから、この子は思い出したように煙突を書き加えました。外とのパイプはきちんと確保したわけです。

少年が描いた家

「人は描く?」と尋ねると、「家の中に入らないから、外に描く」と言って、デフォルメさらた人を書き加えましたが、その後、すぐに消してしまいました。「どうして消したの?」と聞くと、「もっと大きなものを描かなければいけない時にじゃまになるでしょ。」と答えました。

この子は、家の外にこの後描かれるべきものに対して、人の大きさが整合性がとれていないと考えているようでした。このことはこの子の認知能力の高さを表現しているとともに、柔軟性のなさも表現していると捉えられます。この不整合を許容できない思考が、学校という様々な外的刺激のある場で柔軟に対応できないことと関係があるのだろうと捉えられました。方向がなんとなく見えたところで、スクィグル法に移行しました。

スクィグル法へ

「ぐるぐる描きゲームをしよう」と声をかけ、簡単にやり方を説明すると、スクィグル法に移りました。

やり方についての理解は早く、わざと少しあいまいな説明にとどめたのにもかかわらず、この子はすんなりとスクィグル法に移行することができました。このことは、家の描画テストの印象とは違っていました。

上:へび 下:ふとったおじさん

最初は、ぼくがなぐり描きを描いて、彼が「みっけ」をしました。ぐるぐるを描いて「何が見える?」と聞くと、「へび」と答えました。「どんなふうにへびが見える?」と聞くと、初めは何を説明したら良いのか困惑した様子でしたが、「ここが頭で、ぐるぐるしていて、ここがしっぽ。」と説明しました。スクィグル全体からへびを構成したことは、やはりこの子の認知能力の高さを表していました。

次に、彼がなぐり描きをしました。ぼくのなぐり描きを参考にしながらも、まったく同じではない線を描きました。ぼくは彼のぐるぐるから「ふとったおじさん」を見出しました。「最近、おなかがたっぷりしてきた自分自身を投影しているな」と感じながら、「あらら」という思いで自分の絵を見ました。彼は、「ほんとだ。目があるね。」と話しました。

上:クリオネ 下:さかな

次にぼくがスクィグル(下)を描きました。今度は、ギザギザにしてみました。彼は、「ポケモンのモンスター」と言いながら、顔に目を入れ、体の一部を塗りつぶしました。すると、彼は、「うーん、やっぱりさかなかなぁ。」と言い始め、魚に変更しました。

ぼくは、この時、彼にとってスクィグル法は有効になるだろうと考えました。家の描画テストで柔軟な考え方ができなかった彼が、今、スクィグル法で柔らかいものの考え方を見せたからです。

次は彼のスクィグル(上)です。ぼくが「クリオネ」をみっけすると、今度は、初めて彼がひらがなで「くりおね」とタイトルを書きました。彼にひらがなを書かせたモチベーションは何だろうと、ぼくは思案しました。「さかな」から連続する認知的な動機付けがあることが伺えました。

カービィーのてき

最後にぼくがスクィグル。彼は、「カービィーの敵」をみっけしました。やはり、スクィグル全体からの構成です。ぼくにはよく分かりませんが、実際にこれに似たキャラクターがいるそうです。彼は、目とリボンだけを描き加え、喜んで「かーびーのてき」とひらがなで書きました。

スクィグル法では、たいてい繰り返すにつれて「みっけ」が早くなっていきます。それは、簡単に言ってしまえば「慣れ」ということになりますが、心理的には自分の無意識的な認知を肯定的に受け入れる時間が短縮されたことを意味します。そこにとても大きな価値があります。

今回のスクィグルは、スクィグル法による改善の見通しが得られたケースでした。無意識的な部分が投影されやすいスクィグル法では、描かれた作品をロジカルな目で見ようとしても何も得られないことがあります。無意識がどう投影されているのかを観察することで、言葉では表現できないクライアントの心理状態を知ることができます。

遊びとアートを通じて子どもの心と出会うアートセラピーって、やっぱり良いもんだなーと思いつつ、今後もスクィグル法を通じて彼と心の交流を続けていき、彼の前に立ちはだかる困難をともに乗り越えていきたいなと思っています。

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